ダマスカスへの道のり

ベイルート空港に着くと、ドライバーが待っていました。パレスチナ人の男性でした。駐車場から専用車に乗り込むと、市街地には寄らず、真っ直ぐシリアへの国境に向かいます。

取引先のワイナリー、シャトー・カナに向かう道をさらに東へ進み、峠を越えてベカー高原に入り、アンジャルの遺跡を過ぎると国境です。2010年にもベイルートからの直通バスで通った道です。国境の前では、シリア難民と思われる人々が物乞いをしており、戦争の影響を目の当たりにするとともに、シリアへの入口に来たことを実感します。

レバノン側の出国手続を済ませ、緩衝地帯を車で少し進むと、次はシリア側の入国です。事前にメールで入手した書類を提出します。問題なくビザが下りるか、緊張の時間です。審査官がドライバーに何度か確認を取っているようですが、うまくやってくれるでしょう。待つこと約30分、無事に許可が出たので、30ドルを払い、念願のシリアビザを取得しました。待っている間、それなりの人数が国境を通過していきました。両国の住民と思われる家族連れが多かったです。2018年3月の時点では、国境沿いに潜伏する武装勢力の掃討作戦が一段落しており、安全が確保されていたので、人の往来が盛んだったものと思います。

ビザの内定を証明する書類

入国審査を通過し、真っ先に目に飛び込んできたのは、小綺麗な免税店です。戦時下の国と思えない、湾岸諸国の空港かと見紛うような店構えで、宝飾品やレバノン産のワイン等が売られていました。この場所で一体誰が買うのでしょうか。

国境の煌びやかな免税店

レバノンの大手、シャトー・クサラのワイン

さて、再び車に乗り込み、期待と不安を胸にダマスカスへ向かいます。薄暗い曇り空の中、車は舗装された道路を飛ばしていきます。両脇には、電話会社のような広告が並んでいました。ここはもうシリアです。ゲームで言うところの、隠された禁断の地に足を踏み入れたような緊張感を覚えます。途中、何度か検問を通過しました。ドライバーからは、写真撮影やアラビア語は御法度と釘を刺されました。アラビア語は挨拶と数字、少しの単語しかわかりませんが、ひとまず目立たないようにしました。

ダマスカスへの道

30分ほど走り、ダマスカスの街外れに差し掛かったところで、車が脇道に入って停まりました。ここでパレスチナ人のドライバーとは別れ、次の車に乗り換えのようです。市街地に入ってしばらくすると、10分ほどで目的地に到着しました。ここが今回お世話になるフランスのNGO、SOS Chrétiens d’Orientのダマスカス支部です。雰囲気の良い住宅街の、石造りの立派なアパートの中に入ると、メールで連絡を取っていた、隊員のフランス人ジュリアンが出迎えてくれました。

しばし紅茶のおもてなしを受け、部屋に荷物を置くと、食事に誘われたので、一緒に行くことにしました。この付近の様子は、一見したところ至って普通です。近くのシャワルマ屋まで歩いて行き、フライドポテトとガーリックソースの入ったシャワルマを注文します。懐かしい、シリアといえばこれです。8年前の貧乏旅行でもお世話になったのを思い出しました。

拠点の近くにあるシャワルマ屋

戻ってくると、今回行動を共にする隊員を紹介されました。俳優のように男前なのがリーダーのフランス人アレクサンドル、婚約者のシリア人フィミは天真爛漫な若い女性です。恰幅の良いシリア人のアントワーヌからは、大きな地図を見ながら、今回のプログラムの簡単な説明を受けました。どうやら、マアルーラのワインだけでなく、シリア各地に点在するSOSの活動地域を巡る任務に、私も便乗させてもらえるようです。

そうこうしていると、隊員のシリア人ソフィアが戻ってきました。長らく反体制派の拠点となっていた、ダマスカス近郊の東グータ地区、ハラスターでの停戦合意が直前に成立し、市民の退去の現場に立ち会ったとのことで、写真を見せてもらいました。単にイースターの時期に合わせたにすぎませんが、図らずも戦局の転換期に来てしまったようです。

ともあれ、札幌の斎場から2日続いた、怒涛のような移動もようやく終わり、この日は早めに就寝しました。

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