戦時下のシリアへ

2018年の春、戦時下のシリアを訪れる機会がありました。

以前からオリエントの少数派に興味のあった私は、キリスト教徒を支援するフランスのNGOの活動を追いかけていました。その団体がシリアのマアルーラで、伝統的なワイン作りの支援を始めたという、SNSの投稿が目に飛び込んできたのです。2017年9月のことでした。

マアルーラは、キリストの話したとされるアラム語が今も残る、世界でも稀有な土地です。弊社ではレバノンやアルメニア、トルコのキリスト教徒のワインを輸入しています。そして、個人的にも彼らの祝祭や宗教施設に足繁く通った身としては、他の業者に後塵を排してはなりません。私は投稿を見た次の瞬間、その団体にメールを打っていました。ワインを輸入させてください、と。

しばらく音沙汰のないまま1ヶ月が過ぎ、諦めて忘れかけていた頃、何と返事が来たのです。我々としても驚いているが、歓迎します。まずは国に来てください、という内容でした。

戦況マップやニュースを毎日注視しており、大まかには状況を把握していたので、安全上の不安はさほどありませんでした。2010年に訪れたあの場所はどうなっているのか。自身で確かめるまたとない機会と思い、迷わず渡航を決意しました。病床の父親が心配ではありましたが、自分が5年間父の世話をしてきたので、弟に承諾を得て留守を任せました。

当時、正規の方法ではビザの取得が困難でしたが、幸い先方が手配してくれることになりました。ビザの内定を証明する書面が一向に届かず、不安になりますが、それも出発の2日前に入手できました。

ところが、出発前夜になり、父親の容態が急変。翌日朝一番の便で北海道に飛び、タクシーを走らせ、病室に駆けつけたその瞬間、父は息を引き取りました。

ひとまず航空券は一度キャンセルしましたが、幸いほぼ全額が戻ってきました。こんなこともあろうかと、航空会社から直接買っていたのが功を奏しました。現地のNGOにも、その日の出発が難しく、遅れる旨を伝えました。冠婚葬祭は簡便にしたい親戚の意向と、私の事情が一致し、帰国後に五十日祭を行う条件で、翌日に直葬とすることに同意を得たので、翌日深夜の便を予約し直しました。火葬を済ませた後は親戚に任せ、東京にとんぼ返りし、何とか一日遅れで出発することができました。

羽田発の便が遅延したので、経由地のドーハでは、見慣れた不細工な黄色い熊の前を全速力で走り、乗り換え便に駆け込みました。こうして、感傷に浸る間もないほど慌ただしく、隣国レバノンのベイルートに到着したのでした。

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