2025年1月24日 ラグーナ・ヴェルデ(4,300m) – 山頂(6,893m) – ラグーナ・ヴェルデ
深夜0時過ぎ、先に出発するラウルが隣で準備を始め、私も目を覚ましました。ラウルの健闘を願って激励し、車がキャンプを出発する音を聞き届け、もう一眠りします。
深夜2時、アラームで再び起床しました。長い一日の始まりです。ヘッドランプをつけ、コンタクトレンズを入れると、ダイニングテントに移動し、身支度を整えます。パッキングも昨日済ませたので万端です。バックパックの荷物は全部で10kgほどでしょうか。
出発前のダイニングテント
テントには軽食にスナックやシリアルが用意されていますが、日本から持ってきたアルファ米と味噌汁をいただきます。ポットの熱湯がありませんが、時間がないので水で作ります。少し芯が残りますが、日本の食べ物は何とも落ち着きます。しばらくして、クリスティアンとクラウディオがやってきて、熱湯を用意してくれました。魔法瓶1本と水筒2本を満たし、スポーツドリンクの粉を溶かします。少し眠くて慌ただしく、高揚感の入り混じるこの時間は、登山独特の趣があります。
重宝するインスタントの日本食
午前3時半、2台の車に分かれ、我々もオホス・デル・サラードに向かいます。暗闇の中、2日前と同じ未舗装路を遡上し、しばらくして開けた場所で車が停まります。C1のアタカマキャンプです。満天の星々の下、皆で一斉に小用を足すと、すぐに再び走り出します。C2のテホス小屋を通過し、ラグーナ・ヴェルデを出て約2時間、5,900mのスタート地点に到着しました。
ラグーナ・ヴェルデを出発する
ここでダブルブーツに履き替えます。ブーツのファスナーが閉まらず苦戦しますが、無理やりハードシェルをブーツに被せて凌ぎます。ブーツの内側は固定されているので問題ないでしょう。
ガイドと皆で円陣を組み、定刻を30分過ぎた午前5時半に出発。この日は風がやや強い予報でしたが、幸運にも予報は覆って無風に近く、この装備で寒さを感じることはありません。2日前と同じようにゆっくり歩き始めます。私は自分に発破をかけるため、先頭のクリスティアンのすぐ後ろを歩くようにしました。6,000m地点に着いたところで、空が少し明るくなってきました。
さて、この先はジグザグの登りです。折り返す部分はクリスティアンが歩幅を狭めてくれたので、2日前よりも楽に歩けます。そして予定通り6,300mほどの地点で、先発隊のマリオ率いる3名と合流しました。健脚のブルーノは我々と一緒に歩くことになり、先行する6名と、後から追う2名に分かれます。
6,400mほどの地点から見下ろす
ジグザグが終了すると、右方向へのトラバースが始まります。雪が深く、クリスティアンがピッケルでトレースを作ってくれ、助かります。それなりの急斜面なので、私も片手をピッケルに持ち替えて歩きます。この後、石の多い急斜面を少しジグザグに登り、再び長いトラバースになります。
この辺りが山場と言われていましたが、ポーランド人の好漢アルトゥルにも「君は機械のように同じペースで歩くね」と言われるほど、順調に歩けています。6,500mを超え、初めよりは呼吸が増えるものの、1年前ほど過酷に感じませんでした。思えば、西洋人と同じペースで歩けているのは画期的なことです。日本発のツアーでは、日本人の体格に合わせ、コースタイムが長めなことが多いのです。
トラバースが終わり、いよいよクレーターの入口に到着しました。広くて雪のない場所まで歩くと、クリスティアンから休憩をすると告げられます。標高6,750mとは思えないほど日差しが暖かかったので、私は気持ちが良くなってしまい、うっかり昼寝をするという失態を犯してしまいました。気づいたときには、皆が出発していましたが、幸いガイドのクラウディオが残っており、時間は余裕があるというので安心します。ハーネスとヘルメットを着用し、バックパックをここに残して行動食をポケットに突っ込み、クレーターの内側を時計回りに歩きながら、再び標高を上げていきます。
クレーターの内側を回り込んでいく
そして、無念のリタイアをした6,840m地点が見えてきました。50cmほどの石が積み重なった急斜面で、どうにも足が上がらず、時間切れで下山を宣告されたのです。今年はその石の斜面が雪で覆われ、幾分歩きやすかったのも幸いし、因縁の地点を無事に突破します。その先はさらに急になり、40度ほどはあったでしょう。アコンカグアの難所カナレータを思い出しますが、山頂まではあと少し、歩き続けさえすればいいのです。
岩場の直前は最大の急斜面
急斜面を登り切ると、火口の縁に通じる岩場にたどり着きます。岩場は垂直に近いですが、固定ロープが設置されています。先に登る人を待ち、次は私の番です。登攀の経験がない私には、どこから登ればいいか戸惑いますが、意を決して足を大きく上げ、全身を使いながらよじ登っていきます。
山頂直下に岩場が立ちはだかる
空気が薄い中、5mほど垂直によじ登る
ダブルブーツとアイゼンが煩わしいですが、何とか5mほど登ると、ようやく両足を置ける狭い足場があり、今度は右斜めに急な岩場が続いています。両側が切れ落ちており、滑落すると悲惨ですが、上でロープを握っているクリスティアンを信じ、呼吸を整えながら一歩一歩よじ登っていきます。その先は山頂まで固定ロープが続いていました。あとはそのロープを頼りに、岩場を歩いて登るだけです。
斜めの岩場を上から見下ろす
そして、ついに16時05分、チリ最高峰となる6,893mの頂に到着しました!一緒に登ってきた面々と登頂を喜び合います。南北アメリカでここより高い場所は、アコンカグアしかありません。山頂からはアタカマ砂漠が一望でき、6,000m級の山々が全て眼下に見えます。遠くにはラグーナ・ヴェルデも見えました。
山頂のモニュメント
記念写真を撮影
アコンカグアに登頂したときは、試練を乗り越え、神の台座に受け入られたように感じました。今回は素晴らしいメンバーに恵まれ、賑やかな山行だったからでしょうか、ゴールを駆け抜けたような、爽やかな達成感を覚えました。
遠くにラグーナ・ヴェルデが見える
6,000m級の山々が眼下に見える
ひとしきり写真を撮り、名残惜しい山頂を後にしようとすると、岩場の下から誰かが登ってきたので上で待ちます。セバスチャンでした。そして、後ろには何とラウルの姿もあります。ガイドのマリオが先に登り、ロープを岩に巻き付け、巨漢のラウルを支えます。しかし、ラウルは斜めに登る岩場で長時間苦戦しています。山頂まであと10mと迫りながら、ここまでかと思いました。クリスティアンとマリオがラウルを励まし、私も心の中でラウル頑張れと叫ぶうちに、ラウルが不屈の精神で岩場を乗り越えてきました。感動的な瞬間でした。
当日挑戦した8名全員が登頂できたことは快挙です。チーフガイドで、常に矢面に立ち、時には厳しいことも言うクリスティアンは、とても頼もしい存在でした。そして、ラウルを山頂に導き、隊全体を支えたマリオは、笑顔を絶やさず、縁の下の力持ちと言うにふさわしい存在でした。
山頂は360度の眺望
さて、1時間ほど山頂に滞在しましたが、私も下山を開始します。岩場をゆっくり下ると、置いていったトレッキングポールを回収し、急斜面を下っていきます。クレーターの入口に戻ると、バックパックが無事残っていました。何人かが下りてくるのを待ち、18時半頃から再びトラバースを下っていきます。
下山の後半になり、ガス欠でペースが落ちてきたうえ、変形している小指がダブルブーツの天井に当たって猛烈に痛み、途中で日没を迎えてしまいます。歩みの遅い私に付き添って下りてくれた、サブガイドのトマスには感謝しかありません。結局、車に戻ったのは22時を過ぎ、ラグーナ・ヴェルデに着いた頃には0時を回っていました。
2025年1月25日
今日は最終日です。小指の痛みはまだ残りますが、筋肉痛や疲労感はありません。そういえば、ラグーナ・ヴェルデには天然の温泉があったのです。1年前にも入ったので忘れていましたが、最後なので今回も入っていきます。日本人には少しぬるいですが、登頂後に入る風呂は最高です。
ラグーナ・ヴェルデの天然温泉
ダイニングテントには、オホス・デル・サラードのTシャツが飾ってあったので買いました。一生の記念になると思います。朝食の後は荷造りを済ませ、テントも畳み、長く滞在したラグーナ・ヴェルデに別れを告げ、コピアポに帰ります。
皆で集合写真を撮る (HME社提供)
記念のTシャツ
コピアポに着き、ツアー業者が手配した宿に案内されます。名前が「アタカマの頂き」とは、何とも粋です。オホス・デル・サラード以外にも多数の6,000m峰があり、まさに登山者のための宿なのでしょう。部屋に荷物を置き、10日ぶりのシャワーを浴び、近くのレストランで打ち上げの夕食です。何とここもペルー料理店でした。セビーチェとビールを頼みます。登頂後のビールほど美味いものはありません。
縁起の良い名前の宿
鮭のセビーチェ
登頂後のビールは格別だ
前回は頂上を目の前にして、撤退を余儀なくされました。しかし、再挑戦したことで、今回の素晴らしいガイドや登山者に出会えたことは、私の財産になりました。彼らとは今後も連絡を取り合い、また世界のどこかの山で偶然会うこともあるでしょう。何人かはこの後アルゼンチンに向かい、そのままアコンカグアを目指すそうで、健闘を願いました。
素晴らしいメンバーに恵まれた (HME社提供)
翌日、サンティアゴ行きの飛行機に乗るため、皆がまだ寝静まっている朝早くに宿を出ました。別れの挨拶はできませんでしたが、名残惜しくなくて、逆によかったかもしれません。リマ、メキシコシティと経由し、丸2日をかけ帰国し、今回の遠征は幕を閉じました。
南米ではいつも世話になったLATAM航空
奇しくもスーパーマリオがお出迎え
帰宅し荷物を片付けていると、登山とは、長い時間や大金を費やし、泥臭い過程を経て、経験と写真と登頂証明書という結晶に置換する、錬金術のようだと思えてきました。結晶として仕上げるため、自分の経験を書き残しておこうと、決意した山行でした。
登頂証明書