2025年1月20日
山に入って4日目。高度順応でサン・フランシスコという山(San Francisco 6,018m)に登ります。今回の山行では初めての6,000m超えです。前半の山場であり、この標高を楽に登れるかどうかが、オホス・デル・サラード登頂の成否を分ける試金石となりそうです。
夜明け前に起床して支度を始めます。早朝は寒くなるためダブルブーツを履きます。ダブルブーツは固くて窮屈でストレスになるうえ、私は外反母趾が酷く、小指が当たって痛くなるので憂鬱ですが、何とか慣れるしかありません。
車でラグーナ・ヴェルデを出て、東のアルゼンチン方向に進むと、ほどなく国境にあたるサン・フランシスコ峠に達し、見張り小屋が立っています。ここで右折し、オフロード同然の未舗装路を遡上します。後から地図を見ると、車が通った道や登山道は、チリとアルゼンチンの国境線上を行ったり来たりするようですが、緩衝地帯内なので問題はないようです。景色のうえでは境目らしきものはなく、国境がいかに人為的な線か思い知ります。
さて、車はみるみる標高を上げ、5,000mを過ぎたところで、堤防のように盛り上がった丘が横に広がっており、車で行けるのはその手前までです。今日の登山はここから開始します。
丘の手前から登山
斜面にはまだ陽が当たっていない
最初は急ではないが礫の地面で歩きにくい
我々が登る斜面にはまだ陽が当たっておらず、暗く気温も低い中を歩き始めます。幸いにも風はほぼありません。2日前のムラス・ムエルタスは砂地でしたが、今日は大きな石の転がる地面のため、やや歩きにくいです。丘を登り切ると、今度は一旦50mほど下り、再びジグザグに登っていきます。早くもペースに差がついてきました。ルーマニア人のジョージが不調のようで、咳をしたり、急でない斜面でも息切れをしていました。ここで隊は2つに分かれ、順調な我々は先を行きます。
後ろから歩いてくる他の登山者
5,400mほどに達したところでジグザグは終了し、この辺りで日差しが出てきました。ここから左方向へ標高差200mの長いトラバースが始まります。初めは緩やかですが、次第に傾斜が増し、ところどころ砂地で滑って登りにくい箇所もありました。前回の挑戦では、高度順応が十分でなく、トラバースの中盤で既にペースが上がらなくなっていた記憶があります。
終わりの見えない急なトラバース
トラバースは終わったと思うとまだ先があり、5,600m地点でようやく途切れました。ガイドのクリスティアンによれば、この先が核心部とのことです。まずは急斜面をジグザグに少し登ります。前回は大きな一歩が踏み出せず、この辺りで苦戦しましたが、今日は問題なく通過。急斜面が終わると、続いて雪に覆われた斜面を横切ります。膝上くらいの深さがあり、左側が切れ落ちているので、クリスティアンの足跡を追って、慎重に歩きます。
急斜面をジグザグに登る
斜面を渡り切ってしばらく進むと、平らな場所が見えてきました。ここで小休止です。標高は5,800m近いとはいえ、日差しが出始めると暑く、ダウンパーカを脱いで薄手にダウンジャケットに着替えます。広い谷間のようになっており、緩やかな斜面を直登します。風も弱まる地形で歩きやすい部分です。
谷間になっており風も穏やかだ
5,900mほどの場所で、オーストリア人のステファニーが本調子でないようで、後ろで立ち止まっています。私も前回、オホス・デル・サラードの前にやはりこの山へ来て、ペースが上がらず山頂手前で引き返しました。ちょうどこの少し先でした。今日は実に快調で余裕があるので、登頂は間違いないでしょう。ステファニーにはサブガイドが付いたので、我々は休まず進みます。
雪の斜面を登っていくと、ペニテンテスという氷塔が見えてきました。アコンカグアでも見かけましたが、アンデス特有の現象で、乾燥した高地でのみできるそうです。
右上にペニテンテスが見える
山頂に近づくにつれ、傾斜は緩やかになってきました。そして歩くこと6時間半、ついに6,018mの山頂に到着です。山頂は平らで広く、アコンカグアを思い出しました。本番ではなく高度順応とはいえ、登頂して喜びを分かち合うのは清々しい瞬間です。山頂からはすぐ隣にチリ第4の高峰インカワシ(Incahuasi 6,621m)、そして少し遠くにはオホス・デル・サラードも見えました。ステファニーが登ってくるのを待ち、皆で集合写真を撮ります。
十字架のモニュメントと筆者
後ろに見える山はインカワシ
メンバーとの記念写真 (High Mountain Experience社提供)
サン・フランシスコの山頂
山頂には1時間近く滞在し、下山を始めます。しばらく下りると、アルゼンチン人のラウルが、サブガイドのマリオとともにゆっくり登ってきました。私はラウルを激励し、ひと足先に皆と下山しました。
山頂直下は雪に覆われていた
ラグーナ・ヴェルデを望みながらトラバースを下る
見上げるとトラバースの筋がくっきり見える
ダブルブーツを履いての下山は苦手ですが、この日は小指がさほど痛くならず、順調に降りてこられました。車に戻ると、早々に引き返したルーマニア人のジョージが待っていました。後で他の登山者から聞くと、キリマンジャロでも4時間遅れで登頂したとのことで、少し心配ではあります。
この山行ではシリオの作る料理が毎回楽しみでした。今日はキヌアが出てきました。私は普段肉を食べられないので、比較的食べやすい鶏肉にわざわざ変えてくれたのもありがたいです。
キャンプでキヌアはありがたい
夕食を終え、日没を迎えてしばらく経つと、ラウルがガイドのマリオと一緒に、数時間遅れでキャンプに戻ってきました。正直なところ、年齢や体型の面でも厳しそうに見えていたので、ラウルの登頂は嬉しいです。クリスティアンも、ラウルは強い、まるで戦車のようだと言っていました。少しずつでも休まずに歩き続け、そして登頂したのだと思います。
2025年1月21日
サン・フランシスコ登頂の翌日は、再びラグーナ・ヴェルデで休息日です。イギリス人のセバスチャンが途中参加し、総勢10名になりました。セバスチャンはアコンカグア(Aconcagua 6,962m)から来て、既に高度順応済みなので、オホス・デル・サラードのみ参加するそうです。
日中は相変わらずのんびりとした時間で、各々自由に過ごしています。フランス人のブルーノとオーストリア人のステファニー、イギリス人のマーティンは、カードゲームをしています。アルゼンチン人のラウルはテーブルの下で昼寝をしています。
世界各地から集まるメンバーと話すのも新鮮です。登山が趣味でも、オホス・デル・サラードを目指す人は多くありません。やはり何かしら意思があってこの山を選び、集まっているのです。ワスカランは危なく、マッキンリーを目指すにはまだ早い、皆それくらいの感覚で同じような山々を目指していて、8,000m峰でもなく、単なるトレッキングでもなく、5,000mや6,000mの名峰を挙げていました。
ドイツ人のマーセルは火山マニアで、インドネシアやここチリでも沢山の火山を訪れ、日本にも長期滞在し、北海道の樽前山から九州の阿蘇まで網羅したそうで、札幌出身の私ですら、樽前山が火山であることを30年ぶりに思い出したほどです。オホス・デル・サラードに来たのも、世界最高峰の火山という理由で、火山七大陸最高峰を目指すのかと尋ねると、興味はあると言いつつも、南極のシドリー山は費用面で厳しそうにしていました。ツアー費用は約70,000米ドルと、簡単に挑戦できるものではないようです。